blog
Feb, 18, 2014

つい先日、【一緒にWebを作りませんか?】に参加してくださる方と会ってきました。

 

どんな人なのかなと、

こころは踊るばかりで、

いつだって初めて人と会うときは、

こう緊張とわくわくの絶妙のバランスにまいってしまう。

 

そこに現れたのは、

とてもおだやかでやわらかな女性。

それでいて、なんだか何か奥に秘めている感じがした。

 

話していると、

やっぱりとてもおもしろい方で、

表現したいことで溢れている方なのでした。

 

そして、その自分を表現したいというタイミングで、

【一緒にWebを作りませんか?】を見てくださっていて、

参加をしてくださったとのこと。

人の表現のすこしでも役に立てるということは、

自分で表現することに引けも劣らず、

しあわせなことなのだと思います。

 

それにしても、

人というのはどこまでおもしろいんだろうなと思います。

一人一人が自分だけの宇宙を持っている。

人と話していると、そのことだけしか考えられません。

この人の宇宙はどうなっているんだろうって。

そして、そんなきれいな宇宙を持っているのなら、

みんなそれを大事にすべきなんじゃないかなと思います。

いや、きっと大事にみんなしてるのだと思います。

だから、大事にされるべきなんですね、人に。

 

おもしろくない人なんていなくて。

ぼくはそのことにとっても感動しています。

 

【一緒にWebを作りませんか?】という、

ひとつのプロジェクトではあるけれど、

それを抜きにしても、

ただただたくさんの宇宙に出会うことができたらうれしいなと思います。

 

 

Share this:
Feb, 15, 2014

 

“斜に構える”ということばが突然あたまにうかぶ。読んで字のごとく、斜めに構えるということだ。物事に正対しないで、皮肉やからかいなどの態度で臨む。正式にはそんな意味らしい。

 

20歳を超えたぐらいから、この“斜に構える”ということがなんとなくかっこよくも見えたりすることもあって、はてこの気持ちはいったいなんなんだろうかと思っていた。斜めに構えるということは、そのままの意味で、縦でも横でもないということで。そのはっきりしていない感じがなんとなくかっこよく見えるのだろう。世の中なんて考えてもわからないし…っていう一種の諦めみたいなものは、なんとなく達観しているような雰囲気を醸しだすし、それっぽく見える。

 

でも、ちょっとよく考えてみたら、この斜めに構えるというのは、すごく不安定じゃないですか。いかにも倒れそう。そもそも人間は斜めに立ってと言われても、そんなことできなくて。まっすぐ立つか、倒れるかのどちらか。ふつうに考えたら、斜めに立つことなんてできやしないんです。

 

そんなことを考えていたら、“斜に構える”ということの魅力があまりわからなくなってきて、もう頭の中は崩壊気味。立つか、倒れるか、どっちかにしたいものだ。

 

Share this:
Jan, 17, 2014

今週のとある日、

お仕事の関係である写真家の方とお会いした。

ある本でたまたま見かけて、

「すごくすてきな写真だな」と強く印象に残っていた方が

たまたまいらっしゃったので、

それはそれはとてもびっくりだった。

 

 

なんだかわからないけれど、

とても感情が感化された。

なんということでもないけれど、

とても突き上げられるような感覚。

人がそこに存在しているだけなのに、

とくにお話したということでもないのに、

こんなに感情が動かされることはあるのだなと実感した。

 

 

今日はそんなできごとについて考えていた。

人は存在しているだけで、

ある人にとっても多大な影響を与えているのだなと。

驕るとか傲慢とかではないけれど、

きっと僕も善かれ悪かれ、

ブログやTwitterを読んでくださっているみなさんに、

何らかの影響を与えているのだなと思う。

それがなんとなく身近な気持ちで理解ができた。

自分では大したことでないと思っていることも、

他のだれかにとってはとってもセンセーショナルだったりする。

生きているだけできっと誰かに大きな影響を与えている。

 

 

みんながそうなのだと思う。

きっと周りにすてきな影響を与えている。

それも大きくてすてきな影響を。

あなたの中にある宇宙は、

他の誰からも見えない宇宙であるから、

誰にとってもすてきなんだ。

 

 

人の宇宙と宇宙が接するとき、

そこにビックバンが生まれて、

人のこころにズドンと何かを落とす。

 

 

きれいなビッグバンを起こせるよう、

自分の宇宙は自分の宇宙のままで保ちたい。

 

 

そんなことを思った週末。

人生たのしくなってきた。

Share this:
Jan, 14, 2014

考えるってなんだろう。

 

僕は考えるのが好きだ。

でも、そもそも考えるってなんだろう。

 

考えるって、なんかこうクリエイティブなイメージ。

なにか生み出しているイメージ。

だからこそ、考えている人っていうのはなんだかかっこよく見える。

 

でもね、たまに思うのです。

考えるっていっても、自分の考えなんて、

今までに見てきたもの、聞いてきたものの模倣に限りなく近いなって。

ホントは何もあたらしくないじゃない。

だから、いつもいつも無理に考えようとしなくていいんじゃないかな。

考えたってあたらしいものはそう簡単に生まれなかったりして。

何も浮かんでこない自分を責めたりするけれど、

そんなのあたり前じゃないかなと思うのです。

人間の頭に最初から何かがあるなんていうのは幻想なような気がします。

何かを見て、何かを聞いて、

そこから心や頭がそれを処理するだけだと。

 

だから、それよりは感じるっていうことなのかもしれない。

考えるより感じるっていうことが、大切なのかもしれない。

感じたものをどう処理していくか。

その処理作業が考えるということのような気がする。

 

とにもかくにも、無の状態から、

自分の頭に頼って、何かを待っていても、

自分の頭はそんなにスマートじゃないんだなとつくづく。

 

それよりも心の機微に敏感でいた方がいいね。

Share this:
Dec, 29, 2013

「個性って、何なんだろう」ってよく思います。

 

個性的に、

オリジナリティーを、

だなんてよく言われる社会ですが、

個性というものは意識的なものではない気がするんです。

 

個性的でありたい、

そう思った瞬間にひたすら気になってしまうのは他者。

他者と違う自分でないといけないという考えになりがちです。

他者とは違うこと=個性なんですね。

でも、よくよく考えてみれば、

他者を気にしている時点で、それは個性と言えるのか。

もし他者が自分と同じことをし始めたら、

それじゃダメだといって、

自分もまた変わらなければいけない。

それはもちろん他者と違うことではあるけれど、

他者の状態に依存した個性でしかないような気がします。

そこに純粋な自分というものがいるかと言われれば、

決してそうではありません。

 

個性的でありたいと思えば思うほど、

他者の動きや目を気にしてしまう。

もちろん常に他者とは違うことをするという意味で、

それは個性となるのかもしれないけれど、

はたしてそれは自分そのものなんでしょうか?

 

個性ということばが一人歩きして、

自分が自分でなくなるような気がして、

ちょっと僕にはわからなくなる時があります。

 

結局、

やっぱり一番むずかしいのは、

自分に没頭することなんだなっていつも思います。

自分に没頭している人に個性というホットワードはいらないような気がします。

自分に没頭していく、そんなことを考える年末です。

 

そんな言葉にかこつけて、のんびりしよう。

 

Share this: