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May, 24, 2012

みなさん、『料理』してますか??

 

 

 

『料理』 という言葉。これを二つにばらしてみると、もとになるもの=『料』、筋道=『理』となります。つまり、『料理』とは、元になる食材という名の生物がたどる過程・筋道であり、人間がものを上手く食べられるように手を加えること、又はそれを食べる事を意味するようです。自然界に存在する生物としての動物や魚、植物を採取し、加工し、口に運ぶ。ここまでの一連の過程が料理なのです。

 

 

 

ここで、少し、自分が普段行っている『料理』という行為に想いを巡らせてみます。

 

 

 

ふーん。ちょっと待てよ。自分が普段行っている料理ってちょっと過程が短すぎるな。自分が使っている食材がどこから来ているかは正確にはわかっとらん。加工食品とかは一体どんな風に加工されてるの?そもそも、食材を採取してないし、加工もどこかのメーカーにやってもらっている。ある程度まで加工され、準備された段階の食品を購入して、それを調理する。これが、僕の意味で言う『料理』じゃないか??

 

 

 

と、あれこれと考えるわけですね….笑。そう、私達、現代人の『料理』って実はものすごく簡略化されていますよね。手間を掛けて、あれこれ作ってると錯覚してしまうけれども、スーパーに並んでいる食品という段階で実はかなりの事が済んでしまっているわけですね。とっても便利な世の中です。今は、レンジでチンすればすぐ食べられる食品もたくさんありますから、尚の事、便利です。

 

 

 

では、この現代型『料理』が私達にもたらしてくれるメリットは何か?それはもちろん、時間や労力を節約できるという利便性に集約されています。でも、実はもう一つ重要な点があるんではないかと僕は思っています。

 

 

 

それは、私達が食べる対象である生物と向き合わなくて良いという事です。これをメリットと呼べるのか否かはわかりませんが、少なくともわかりやすい例で言えば、肉を食べる人間が殺される動物と向き合う必要がないという事。これは、肉を食べる人にとっては精神的に大きなメリットなのではないでしょうか。自分が命を頂く対象が殺されるのを目の当たりにすることなく、スーパーに綺麗にパック詰めされて並んだ、数日前まで生き物であった事を連想させないかのような無機質な肉を手に取るだけですむ。スーパーに並んでいる肉を見たからといって、倫理的な問題に考えを巡らすだとか、生について考えるだとか、そんな事を滅多に起らないでしょう。これは、逆説的に言うとメリットなのかもしれません。

 

 

 

そして、この現代型『料理』はもちろんデメリットも生み出します。それは、『料理』の中の大半の過程を自分ではない何かに委ねる事によって、食べる対象である生物に対して向き合う機会が失われ、感謝の念をあまり持たずに食べてしまうという事です。

 

 

 

自分の家で作ったお米と市販のお米。品種も味も客観的に見たらあまり変わらないのかもしれない。それでも、自分の家で作られ、自分が田植えや稲刈りに携わったお米を食べるとき、とてつもない感謝の念と、作られた過程を知っているという安心感をひしひしと感じ取る事が出来ます。これが、何かの命を頂く喜び、食の喜びです。

 

 

 

この喜びの欠如が、食について様々なおかしな問題を引き起こしているのかもしれません。もちろん、この世の中ですべてを元に戻し、自給自足の生活をしようとは思いませんし、現代の主流のシステムを変えようという話でもないです。それでも、現代型『料理』をする中で、自分が手にした食材について色々と考えを巡らしてみることも大事でしょう。

 

 

 

 

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May, 20, 2012

全てのものにはストーリーが詰まっている。全てのものには、それを作った人がいる。

 

 

何かを買う時、何かを手にする時、その物の歴史や背景、その物を生み出した人、その物が生まれた過程やストーリーを知っているかいないかで物への思い入れは本当に違ってくる。

 

 

それでも、普段の生活で、私達が何かを買う時に、物に隠されたストーリーや物を作った顔を知った上で買う事は中々ないように感じる。特に、均一で安い商品が覇権を握っている現代社会では。さらに、毎日のように消費するもの、例えば食品等は特にそうなりがちだ。

 

 

 

先日、スーパーでいつものように食品売り場で食品選びをしていて、ふと感じた事。

 

 

 

それは、スーパーの棚に並ぶもののほとんどががものすごく不透明で、ストーリーが語られていないという事。もちろん産地や原材料を知る事はできるけど、逆に言えば、それだけでしかない。すごく表面的な情報のみしか僕らは知り得ない。

 

 

 

僕は、ふと思った。食品ももっともっとアーティストのように扱われるべきなんじゃないかって。みんな同じような顔して均一に扱われるのではなく、それぞれが独自のストーリーと色を持ったアーティストとして語られるべきなんじゃないかって。

 

 

 

そして、消費者である僕らが、アーティストのファンになってCDや絵画などの創作物を買うように、食べ物を手に入れる。そして、思いやりを持って口にする。そうすれば、もっともっと僕らは食に対し根源的な喜びと感謝を抱けるのかもしれない。

 

 

 

利便性と効率、そして貨幣経済の中での安さという概念を食品に対して求めてしまいがちであるけれど、そのせいで僕らは何か大事なものを忘れているように感じる。

 

 

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May, 15, 2012

この前、アメリカでの食肉牛の飼育に関して色々と知る機会があったのでここでちょっとそれについて!

 

牛って本来は牧草を食べる生き物。そして、牛と牧草はとっても相思相愛の関係にあるんです。

 

 

というのも、牛は牧草の種を広範囲に広めて、蹄で植え付け、堆肥で肥やしてくれる、牧草にとってとても有り難い存在!

逆に牧草はそのお返しに牛にいくら食べられても伸びるように進化し、牛にたくさんの栄養を提供する。

牛にとっては牧草地は生きる上で格好の場であるし、牧草地にとっても牛は場を良くしてくれる生き物。

まさに、相思相愛です。これが自然な生態系。

 

 

 

(Photo: corn by WayTru)

 

 

でもね、アメリカの多くの食肉牛は生まれてから一定期間しか牧草を食べられません。ある日、突然、安価なトウモロコシを食べさせられる事となるわけです。

 

それはなぜか。多くのアメリカの畜産業者が、この半世紀の間、牛が生まれてから食肉用としてしっかりと育ち、殺処分されるまでの期間をできるだけ縮めようと努力してきたからです。トウモロコシは栄養価が高く、牧草よりも牛を早く成長させられるために、多くの畜産業者がトウモロコシを牛の餌として選択するのです。

 

 

牛が食肉用として殺処分される年齢は、1950年代には2〜3歳だったのが、現在は14〜16ヶ月。

 

 

では、なぜ畜産業者がそのような事をすることとなったのか。それは、現在の大量消費社会。そして、消費者が安価なものを求めるという状態と密接に関わっているのです。

 

 

畜産業者が、牛をできるだけ短期間で育て、効率を上げることで、安価で牛が市場に出回り、消費者は安く牛を食べる事ができる。このような過程が、本来、牧草を好んで食べる牛が相思相愛関係にある牧草と切り離されなければならない原因なんですね。

 

 

私達、人間が自分たちの都合のいいように自然を変えてきているという事実。自然災害が私達に試練を与えるのも何だか頷ける。

 

 

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May, 14, 2012

やっぱり、食には”楽しみ”がある。食を通して、幸せな気持ちになったり、楽しくなれたりする。だから、そこはすごく重要だと思うんです。そこを失うことは、あまり体にも良くないのだと思うわけです。

 

 

確かに、ヘルシーで安全なものを毎日しっかり摂取していくのはすごく大事だけれど、もしそれに囚われすぎて精神的にストレスを抱えてしまう事があったりするのならそれはむしろ逆効果だと思うんです。精神的なダメージは、不健康な食生活よりも体に大きなダメージを与える可能性があります。

 

 

だから、一番良いのは、ヘルシーで安全でワクワクする食事。僕は子供の頃、健康食品を中心に食べてきたから、周りの人が食べていたようなお菓子とかを見てて、単純に美味しそうだなって思っていたんですね。だから、僕の親は時々、一般的なお菓子を食べさせてくれたんです。

 

 

そうすると、確かにパッケージとかも健康食品とかよりは派手でワクワクして美味しそうなんだけど、やっぱり味は、健康食品で慣らされた僕の舌にはあまり合わなかった。そこで、「あっ、やっぱり自分の食べてるもの美味しい」って初めて気付くんです。

 

 

そこからは、以前よりも健康食品を楽しんで食べれるようになってくるわけです。そういう自分自身の気付きなくして、健康食品を楽しめるってことは子供には中々難しいと思うんです。なにせ、普通の体に悪そうなお菓子の方が人間の感情に訴えかけるような高いデザイン性を持っているわけですから。

 

 

そして、それらは素材の味を感じるより遥かに簡単な派手な味付けで子供達の舌を魅了するわけですから。そうやって、子供は悪そうな食品にどんどん走っていってしまう。でも、僕はそういう食品にも見習うべきとこがあると思っています。

 

 

デザイン、味の工夫、そしてコストパフォーマンス。このような要素は消費者を呼ぶために大事な要素です。一見、体に悪そうな食品の方が、このような要素に力を入れているわけです。だから、消費者もどうしてもそっちに手を伸ばしたくなってしまう。

 

 

もちろん、健康食品やオーガニック食品は、添加物などでごまかせない分、多くのコストを要しますから、それ以外の要素にコスト掛けるのが難しいのはわかるのですが、もしデザイン性や価格の面でもっと優れたものがも出てきたら良いんじゃないかなっていう希望を持っています。

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May, 13, 2012

スーパーに並ぶ膨大な量の食料品。何を食べようか迷う贅沢な悩みを抱えている私達。

 

 

でも、スーパーに並ぶ、食品のそれぞれがどこから来て、誰に育てられ、どのような過程で棚に陳列されるに至ったかは、消費者の私達があまり知り得る事ではありません。

 

 

大量の防カビ剤が付着していることも知られないまま陳列された輸入レモンやオレンジ。

生きていた動物を連想させないかのように綺麗にパック詰めされたお肉。

人工物だけで構成された加工食品。

 

 

もしかしたら、知らなくてもいいのかもしれない。「そんな事考えてたら、何も食べられない」なんて言われてしまえばそれまでだ。

 

 

でも、食べるってことは、他の生物の魂を頂いて、人間の魂と肉体に変換する作業。命が介在する活動です。それなのに、食べるという対象物が何なのか、どうやってここに来たのか、誰の手を介在してその場にあるのかを知らない、いやむしろ、簡単に知る事ができないのは何だか悲しいし、無機質で、恐いものだと感じるのです。

 

 

現代社会では、多くの人が多忙な生活を送っていて、食べ物について考えたり吟味したりしている暇なんてないのかもしれない。それでも、人間として根源的な食べるというテーマに少しでも時間と労力を割くことも重要な気がしています。

 

 

食べることについて考えたり、食品を選ぶということに時間を割く事は、理性があり、雑食動物である人間に本質的に求められている行動なのかもしれません。

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