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May, 13, 2014
自分一人でしたことなんか何もないとしたら

今までの自分の人生が

今まで自分がなしてきたことが

すべて自分一人の努力のおかげだとは決して思わない

それでも、それが、

半分ぐらいは自分の努力のおかげだと

そう思うのは別に傲慢ではない

そんな風に思っていた

 

しかし、そんなある日、

「今の自分があるのは、これっぽっちも自分のおかげではない」

そんな言葉に出会った

「これっぽっちも」と言い切れることに

とんでもない強烈なアッパーを受けた気がした

 

「これっぽっちも」と考えることでひたすら謙虚でいるべきだ

いや、決してそんな意味ではない

謙虚であるべきかといった視点を超えている

だって、よくよく考えたら、本当にその通りなのだ

 

私たちは、

◯◯を知っている、◯◯を持っている、◯◯をした

って、自分の成果のように誇らしげに言ってしまったりするけれど

もし、まるっきり違う国に、違う時代に、違う親のもとに生まれたとしたら

そんな成果を残し、そんな自分になっていただろうか?

きっと、そうではない

そのぐらいシンプルなことだ

 

例えば僕は今、ふつうの会話程度なら英語が話せるけれど、

それはあくまでこうして違う大陸にいる人同士が簡単に行き来できる時代になって

たまたま英語を勉強するような国に生まれ

さらに外国人の妻と出会ったから

それだけにすぎない

もちろん自分の努力もある

でも、その努力の前に必ず運命や環境、奇跡や巡り合わせがある

そこから自分の努力がはじまるのだ

 

そんなことを考えていたら

いや、もう本当に、

自分一人でできたことなんて何もないじゃないかと

開き直れるぐらいにそう確信できるのだ

そうしたら、もうそこには客観的な感謝の気持ちしか残らない

そして、自分一人でしてきたことなんてないって、

そう確信すると

なんだか色々な心配もなくなってくる

だって、結局みんなに助けられるしかないのだから

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