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Apr, 14, 2014
考えないということ

最近の自分といったら、おそろしいほどに何かを考えるということが少なくなりました。いや、厳密にはきっと何かを考えてはいるのだろうけれど。今までの自分は、人生のことや、人がどうあるべきか、どう生きるべきかといったことを、考えて生きてきました。でも、その一方で、そういうことをひたすら考えても、それは自分という一人間の頭で考えたことに過ぎないし、それとは関係なしに世界がまわっていたり、自分の人生も進んでいったりすることに徐々に気付き始めました。考えることは決して無駄ではないけれど、考えた末に、頭はどこか「〜であるべき」という結論を最後にだします。そして、その「〜であるべき」は、自分を、そして、そのつもりではなくても、他人を、多かれ少なかれ縛ったりするものなのです。

 

それが、何だかとってもストレスフルだなと思いました。もちろん、人間だから、何かを考えたり、将来の願望を持ったりするのはあたり前なんですが、それはそれで自分で認めてあげる。その上で、別の軸を持つことが実はとっても大事なんじゃないか。そう思いました。その別の軸というのは、自分の考えや願望とはまったくかけ離れていて、それでいてもっともっと精妙ですばらしいものが自然と用意されるっていう考え方。決して、自分の考えや願望、欲を捨てるわけではないけれど、それをただただ自分の我欲だって考えられる勇気。自然と何かが持たらされたら、自分の思考を捨てて、そっちにピョンって飛び移っていける勇気。そうやって生きることの方が、僕は楽なような気がしました。

 

そうやって考えると、自分の考えを特に進化させたりする必要がなくなってきます。だから、無理して考えようとも、哲学しようとも思わなくなりました。そうして、ここ最近、自分自身考えない時間の方が、どんどん多くなりました。考えない時間が増えると、「おい、自分、大丈夫か?」って思うこともしばしば。考えないことへの罪悪感みたいなものがあるんだなと気付きます。この現代社会の中で、考えないっていうことは、どこか遅れをとるような感じがするし、それだけで自分は取り残されるんじゃないかって。そんなマインドセットが、知らず知らずのうちに、自分には埋め込まれていたんだなと、ただただ恐い気持ちになりました。でも、別に、それでいいんだなって、今は思えます。考えない方が、目の前で起こったことにすぐ反応できるから。もっとピュアに反応できるから。僕は考えることで自分が進んでいっている気になっていたけれど、どんどん自分の上に、色々なものを塗りたくっていただけなんだなと今はただただそう思うのです。

 

じゃあ、今、何を考えているのかっていえば、ただ食、料理のことです。考えていて、楽しいから。楽しいことだけを考えることにします。だって、自分がひたすら考えたって、自分の人生は神様のお導きみたいなのに導かれて、思いもよらない方向にいったりするのだから。せめて、自分の頭っていう自由な領域ぐらい、好きなことだけ考えて、好きなことだけするっていうのも、いいじゃんって思うのです。あとは、任せます。自然のなりゆきを。そのぐらいのゆるさがちょうどいいや。

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